
まだ深大寺のネタが続くんじゃな?結構しつこいn…ん?なんでもないぞい。今日はどんな話なんじゃい?

そうなんだ!これで最後だからじぃじも頑張って聞いてよ!今日は深大寺といえば蕎麦!食べてきた蕎麦の話だよ!
深大寺でなぜ蕎麦?
深大寺といえばお蕎麦ですね!なぜ深大寺といえば蕎麦だったんだろう?となったので、調べてみましたぞ
もともと深大寺周辺の土地や気候は、そば作りに適していました。
1.そばは朝霞出る地域が良く当地区は最適。
2.昼と夜の温度差が5度以上あります。
3.夏にはとても冷たく、冬には暖かく感じるような、常に水温が17度位の湧水が重要です。
4.土地がやせていること。
かって神代地区では、農家が300軒余あり、約半分は、食いぶちの蕎麦を作っていました。
一軒5畝(1畝(1畝30坪1反は300坪1町3000坪)〜深大寺そばの歴史
深大寺周辺は実際に蕎麦の栽培に適していたというわけですな!では、深大寺と蕎麦の関係は?
歴史については諸説あります。
1、江戸時代近在の農家から深大寺に寄進されたそば粉を参拝した人に供したのが始まりといわれます。
2、三代将軍徳川家光が鷹狩の途中立ち寄った際、寺僧が打つそばの味を激賞し、以後、現在の新宿御苑から毎年献上したのが始まりともいわれます。
3、又、上野寛永寺大明院法親王の御時、深大寺境内にて作ったそばを献上し、賞賛を得て以来ともいわれます。
〜深大寺そばの歴史
上記のリンク先のサイトによると、吉宗公が蕎麦は痩せた土地での栽培も可能なので、享保の改革の時に深大寺村(今の調布市)の農家に督励したとのことです。さらに江戸時代後期には文化人でもある太田蜀山人が深大寺の蕎麦はうまい!と宣伝して次第に深大寺そばの名前が広まったらしいのですな。
ちなみに、この当時、江戸の蕎麦は蕎麦の実の中の芯だけを使った白い更科系のそばが一般的だったところ、深大寺そばは殻ごと挽いた黒い十割蕎麦だったので、将軍家への献上はできませんという大岡裁きがあった記録が残っているそうです🤔
深大寺ではどこの蕎麦屋で食べる?
テッドの家ではテッドが子供の頃から「そばごちそう門前」でお蕎麦を食べていました。深大寺の門を背にして左側が「門前」です。
父が深大寺では絶対ココ!なお蕎麦屋さんだったのです。しかしテッドは1人で深大寺に行くと門を背にして右側の元祖嶋田屋に入る事もあります🤣ここはお蕎麦激戦区なので行列ができてしまう名店が多いですが…テッドは嶋田屋か門前しか入ったことがありません。
そばごちそう門前で食べた蕎麦

テッドは門前ではこれを注文します。野菜かき揚げ丼と蕎麦のセット!これで1150円。以前は1000円以下でしたがこのご時世でこの値段は安井曾太郎。しかし、かき揚げがカラッとあがってて美味しいのです。実はテッドはかき揚げが苦手なのですが、ここのかき揚げはなぜか好きです。ナスとか玉ねぎとかいろんな野菜が入ってるのですな。
ちなみに、門前ではお蕎麦に必ず有平糖が付いてきます。この有平糖がサクサクして美味しいんですぞ!あっという間になくなる魔のお菓子。ちなみにコレです↓(楽天)
そばごちそう門前の店先でこの有平糖が販売されています。そして、この飴と同じもの、テッドは香取神宮の参道のお店でも買ったことがあります。スーパーでは見たことがないけど何気に神出鬼没なお菓子です🤣
まとめ
さて、と言うことで深大寺ではなぜ蕎麦なのか?について調べてみましたぞ。実際に蕎麦を栽培していたということですな〜!今でも深大寺城址に蕎麦畑があったりするそうです。江戸の内藤新宿(新宿)では唐辛子が名産でしたし、深大寺産の蕎麦を新宿産七味で食べたらきっと美味しいだろうなぁ🤣新宿の唐辛子についてはこちらのサイトへ↓


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