お坊さんの深イイ話と扉カレー

7c69289b 10f2 42f5 b416 e5d862273cf0 参拝うまいもの
じぃじ
じぃじ

テッドちゃんはお不動様の護摩法要に行って、随分いい話を聞いてきたという話じゃな?

テッドちゃん
テッドちゃん

そうなんだ!とっても感銘を受けた話があるんだ!

副住職さんのお話

副住職さん
副住職さん

ぼくは〜大阪の出身なんです。大阪の人間はモノを安く買えると自慢するんです。これええやろ?安くこうたんやで〜と自慢するんです。

護摩参加者
護摩参加者

護摩参加者「ふふふっ(モノを値切って安く買う的な話かしら)」

副住職さん
副住職さん

東京の人は高いモノを買うと自慢しますね?これは高かった、こんな大金出して買ったんだよと。でも、大阪の人間はいかに安く買えたかを自慢するんです。
(ここでお坊さんがキッと真面目な顔になる)
これは、大阪の人間は自分でモノの価値を決める、という事なんです。

テッドちゃん
テッドちゃん

(ひっ!深イイ話だった〜!!)

副住職さんのお話は関西人あるあるの話では全くなく、自分がものの価値を決める、値段に価値を預けないという関西の人の生き方の話だったのですな。確かに東京の価値観では、高いものを買える自分、ブランドものを買える自分、高いモノを着れる自分…価値の保証を外部に委ねる感じがあります。(※ここでは大阪と東京の違いを単純化して書いています)

しかし、大阪の人は「自分がいいと思ったからそれには価値がある」という考えを、副住職さんが話してくださいました。

自分の値打ちは自分が決める

じぃじ
じぃじ

なるほどのぅ、この話の核は「値段が価値を決めるんやない、ワシが価値を決める」という、めちゃくちゃ主体的な姿勢じゃな。

これ、仏教的に見ても相当深いぞい。
「物に自分の値打ちを預けるな」
「外の評価に振り回されるな」
というのは、執着を手放す教えにも通じる。坊さんが語ると急にドンと重みが出るのも納得じゃ。

テッドちゃん
テッドちゃん

そうそう!そういう事なんだ!うまく言語化できなかったけど、それそれそれだよじぃじさすがスーパーちゃっ爺😆

じぃじ
じぃじ

じゃろじゃろ〜?☺️

ワシから見るとその話、“自分の目を信じて生きとるかどうか”という問いに聞こえるのう。

いやあ……ええ寺、ええ坊さんじゃ。

早速実践してみる

先日、鎌倉で安いランチを食べてきたのです!🤣このご時世でなんと800円。お支払いの時も「はい、800円です」と言われて横転。内税だったんか〜い?(Suicaで支払えるのも嬉しいポイント)🤣さて、こちらが800円のランチです

ランチのサラダ
ランチのサラダ

まず、サラダが出てきた。お野菜新鮮。アメリカだとお店によってめっちゃ萎びたサラダ出る🤣

800円のカレー
チキンカレー

そして、こちらが注文したチキンカレー。カレーがなみなみと盛り付けられている…!らっきょうと福神漬けも添えられていて、これは戦える。トロットロの玉ねぎの甘み、柔らかくホロっとほどけるドラムスティックのチキンが一本…美味しいです。もぐもぐ食べている時にベイリーフまで一緒に食べちゃって、これって業務用のカレーじゃなくてやっぱりココで作ったカレーだよな?👀

これは正味な話、800円以上の価値がある💥
安いからマズいわけではない、むしろなぜこの価格で提供できるのか!?…👀

さて、どこのカレーかというと、パーラー扉です。パーラー扉by豊島屋。鎌倉といえば鳩サブレーの豊島屋です。間違いない。

豊島屋のレストラン、扉
パーラー扉

場所は、鎌倉駅を背にして左側、不二家の手前にあります。一階が豊島屋のパン屋さんが入っています。

ちなみに、日替わりランチは15名分しかないので早い者勝ち。この日は1時過ぎにのこのこ行ったのでもちろんありませんでした。窓際は1人席になっているので1人で来ているお客さんも多いです。テッドも1人で入りました。

実は、パーラー扉には7年ほど前に一回入ったことがあり、その時はスフレパンケーキみたいな形のオムライスを食べたのですが…その後なぜかパーラー扉の存在を忘れて他のお店に入ってランチを食べていました。でも、これから鎌倉に行ったらパーラー扉でランチ食べよ〜😆

まとめ

自分の価値は自分で決める――そう言われると当たり前のようですが、私たちはいつの間にか「高いモノを身に纏っている自分」「特別な体験をしている自分」に価値を預けてしまいがちです。
SNSが発達した今、その傾向はますます強くなっているように思います。

そんな中で、副住職さんの
「大阪の人は自分でモノの価値を決めている」
という言葉にハッとしました。
値段が価値を決めるのではなく、自分が「これはええ」と思えるかどうか。
それはモノだけでなく、人を見る目にも通じる話だと感じたのです。

その昔、アントニオ・ガウディが路面電車に轢かれたが誰も助けようとしなかった。みすぼらしい身なりのために浮浪者だと思われたからだったのですな…。後日、亡くなったのがガウディだと分かった途端市民が嘆き悲しんだ…という逸話があります。
その人が誰であったかは、外見からは分からなかった。外見だけで他者を評価することの危うさを、強烈に示しています。

人を、モノを、そして自分自身を…値札や肩書きや見た目で判断する前に、一度それらを削ぎ落としてみる。
副住職さんの言葉は、そんな大切な視点を思い出させてくれました🔍✨

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