深大寺参拝の楽しみといえば、なんといっても「深大寺そば」。 なぜこの地が蕎麦の名所となったのか、その裏には江戸時代の将軍家や歴史的文化人も愛した、深大寺の豊かな「水」と「土」の物語がありました。 今回は、深大寺そばの由来を紐解きながら、テッドが幼少期から通い詰める「そばごちそう門前」のランチセットをレポートいたします。

まだ深大寺のネタが続くんじゃな?結構しつこいn…ん?なんでもないぞい。今日はどんな話なんじゃい?

そうなんだ!これで最後だからじぃじも頑張って聞いてよ!今日は深大寺といえば蕎麦!食べてきた蕎麦の話だよ!
👇前回の記事、深大寺で2回も凶を引いた話👇

深大寺周辺の歴史と蕎麦|なぜ「名物」になったのか?
蕎麦作りに最適だった!深大寺の土地と気候の秘密
深大寺といえばお蕎麦ですよね🔍
なぜ深大寺といえば蕎麦だったんだろう?と疑問に思ったので、調べてみました。まず、深大寺周辺ではこのような条件が揃っていたそうです↓
蕎麦作りに最適だった深大寺周辺の土地や気候
1.そばは朝霞出る地域が良く深大寺周辺はそば栽培に最適
2.昼と夜の寒暖差が5度以上ある
3.夏は冷たく冬は暖かく感じるような、水温が17度程度の湧水がある
4.土地がやせている
深大寺周辺は実際に蕎麦の栽培に適していたというわけですな!
将軍家も認めた味?江戸時代から続く「深大寺そば」の伝承
では、なぜ深大寺と蕎麦が有名になったんだろう?

深大寺そばは、江戸時代に寺や周辺農家で振る舞われたことに始まるという伝承があり、徳川家光の鷹狩で評判になったともいわれるんじゃ。
その後、徳川吉宗の時代に蕎麦は痩せた土地での栽培も可能なので、享保の改革の時に深大寺村(今の調布市)の農家に督励したことで栽培が広がり、幕府ゆかりの食として語られたんじゃな。
文化文政期には太田蜀山人が深大寺の蕎麦はうまい!と紹介し広まり、地誌『江戸名所図会』にも名物として記録された。のちに周辺へそば屋が増え、昭和以降に観光地として定着した、という流れじゃな🍜

へぇ〜江戸時代の深大寺周辺ってちょっと面白そうだなぁ〜。もちろん、今も魅力的だけど。
タイムマシンがあったら鷹狩りしていた家光公や吉宗公の肝入りで始まった深大寺周辺での蕎麦栽培の創世記もこの目で見たいねぇ〜

江戸では白いお蕎麦が高級とされていた時代に、深大寺はあえて黒い十割蕎麦を貫いたんじゃ。
それが『将軍家には献上できぬが、味は天下一』という大岡越前の粋な裁きに繋がった…なんていう、歴史好きにはたまらんエピソードも残っておるんじゃよ!
テッドおすすめ?深大寺で蕎麦を食べるならどこ?
父が通っていた「絶対ココ!」な定番店と、元祖の味
テッドが子供の頃から実家では「そばごちそう門前」でお蕎麦を食べていました。深大寺の門を背にして左側が「門前」です。
深大寺周辺はそば激戦区なのでテレビで紹介される名店が多く、常に行列ができています。門前は大体並ぶことなく入店できますし、なんといっても父の馴染みのお店だったのです😆
しかしテッドは1人で深大寺に行くと門を背にして右側の元祖嶋田屋に入る事もあります🤣
平日は超有名な「湧水」をバスから眺めて「あ、今日は行列ない…」などと思うのですが、なぜか馴染みの嶋田屋か門前に足が向かってしまいます。
実食レポート!「そばごちそう門前」の絶品かき揚げセット
かき揚げが苦手なテッドもこのかき揚げは好き

テッドは門前ではこれを注文します。野菜かき揚げ丼と蕎麦のセット!
これで1150円。以前は1000円以下でしたがこのご時世でこの値段はお値打ち価格。しかし、かき揚げがカラッとあがってて美味しいのです。
実はテッドはかき揚げが苦手なのですが、ここのかき揚げはなぜか好きです。ナスとか玉ねぎとかいろんな野菜が入ってるのですな。
神出鬼没の魔のお菓子?おまけの「有平糖」に魅了されて
ちなみに、門前ではお蕎麦に必ず有平糖が付いてきます。この有平糖がサクサクして美味しいんですぞ!あっという間になくなる魔のお菓子です。
そばごちそう門前の店先でこの有平糖が実際に販売されています。
そして、この飴と同じもの、テッドは香取神宮の参道や大雄山最乗寺の入り口のお土産屋さんなど、何気に神社仏閣参道でよく目につく神出鬼没なお菓子なのでご存知の方も多いかもしれません🤣
まとめ:深大寺の歴史を味わい、江戸の風情に想いを馳せる
さて、と言うことで深大寺ではなぜ蕎麦なのか?について調べてみましたぞ。実際に蕎麦を栽培していたということですな〜!今でも深大寺城址に蕎麦畑があったりするそうです。
江戸の内藤新宿(新宿)では唐辛子が名産でした。深大寺産の蕎麦を新宿産七味で食べたらきっと美味しいだろうなぁ🤣
ちなみに内藤唐辛子の七味は大久保(百人町)の今田新聞店前の前に自販機があったり、新宿区内などで実際に購入できます。詳しくは👇



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